クンダリーニヨガを4ヶ月間続けてみた実感

クンダリーニヨガという世界に踏み入れて4ヶ月が経ちました。興味本意で練習会に参加してみて、週1ペースでずっと先生に習っています。今回は、クンダリーニヨガなるものを4ヶ月間やり続けた実感を書いていきたいと思います。

クンダリーニヨガに興味を持ったきっかけ

そもそもクンダリーニヨガなるものに興味を持ち、習ってみようと思ったきっかけからお話します。答えは簡単で、一番怪しかったから。いわゆるニューヨークスタイルのハタヨガや気功、太極拳、ピラティスなんかと比べて、クンダリーニヨガはもっとも胡散臭くて、宗教臭くて、非科学的・非現代的でした。チャクラとかエネルギーとかプラーナみたいな言葉が日常的に飛び出すのはもちろん、シーク教に起源を持つマントラや、伝統衣装を着て行うスタイルだったり、どれもこれも怪しい。万人受けさせる気がさらさらない。

そもそもクンダリーニヨガの目的は、身体に眠るクンダリーニエネルギーなるものを上昇させることであり、ヨガ自体の最終ゴールは、ブラフマン(宇宙)との合一である。めちゃくちゃ怪しい。こんなことを実践しているなんて、現代社会でおおっぴらには口にできない。そんなあたりに好感を持ちました。

ただ怪しければなんでもいいかというとそういうわけでもありません。きちんと歴史と伝統が蓄積された体系であるところも魅力でした。クンダリーニヨガという分野が確立されたのは、ヨギバジャンからの比較的最近のことだけれど、もともとは千数百年前から実践されてきた体系です。もちろんその起源は、アーユルヴェーダの時代の古代ヨガと同根です。流行っては消えていく、ここ最近のスピリチュアル系とは、やはり一線を画しているような気がしました。

実際に始めてみた感想

で、始めてみてどうだったかというと、正直にいうと、まったくよく分からない。まったくよく分からない伝統がこの世界にはある、ということがわかった。それが正直な実感です。

でも、それで終わってしまっては元も子もないですね。もちろん何一つ理解できたものがないかというとそういうわけでもありません。だから、一体「何が理解できて、何が理解できない」かを記していこうと思います。

一般的なヨガと同じく、クンダリーニヨガも、アーサナ(身体動作・ポーズ)と瞑想の2つに分かれます。なぜこの2つを組み合わせてやるのか、についてはまだわかりません。ただ予想としては、ヨガのメインはあくまで瞑想なのだけれど、いきなり瞑想だけをするよりも、アーサナ(身体動作・ポーズ)をやってから瞑想を行うほうが効果的なんだろうな、と思っています。

アーサナについて

まずはアーサナについて。クンダリーニヨガでは、クリヤと呼ばれる、いくつかの身体動作のセットを行います。やってみて思ったのは、思ったよりもフィジカルでテクニカルなんだな、ということです。これに関しては他分野よりも、むしろ分かりやすい。おそらくは、呼吸と身体の伸縮(あるいは緊張と緩和)を通じて、体幹を弛緩させていくプロセスなのだと思う。

私たちの身体は、ふだん無意識に緊張している。意識的に力を抜いてリラックスしようとしても、そうそう簡単に身体が弛緩するということはない。とくに現代人でいえば、ずっと肩に力が入って上がり気味だったり、無理に姿勢を良くしようと、腰を反らせる筋肉をずっと緊張させていたりする。だから、ほんとうに「力を抜く」というのは難しい。1日2日でできるというものでもなく、何年もかかってようやく、身体の恒常的な緊張を緩めることができるのだと思う。

クンダリーニヨガでは、とくに横隔膜の弛緩を重視するようです。だからこそ呼吸の操作も重要はファクターになる。体幹の伸縮と呼吸をつかって、横隔膜を上下に動かしたり、圧(腹圧)をかけることにより、横隔膜へアプローチすることを目指しているようだ。

クンダリーニヨガではいわゆる「火の呼吸」というのが有名なのだけれど、これについてはまだわかっていない。おそらくこれも横隔膜の弛緩と関係しているのだと考えている。もちろん一般的に説明されるように、エネルギーとかプラーナみたいなものも関わっているのかもしれない。けれど、クンダリーニヨガの執拗なまでの「体幹の弛緩」へのアプローチを考えると、たぶん火の呼吸もそれと連動しているのではないかと予想しています。あくまで予想なので、ぜんぜん違ったら申し訳ない。

アーサナについて、4ヶ月間でわかったことは以上になります。何百年と実践され、探求が続けられている体系なので、さすがに「これで終わり」ということはないと思う。まだまだ1合目にも登っていないかもしれない。なのでしばらくは続けていこうと思います。

瞑想について

つづいて瞑想について。クンダリーニヨガの瞑想は、一般的な「無心で呼吸に集中する」瞑想とは少し違います。もう少しやることが多い。たとえばキルタンクリヤとよばれる瞑想では、1.「サタナマ」というマントラを唱えながら、2.それを普通の声、ささやき声、心の中の声で分けて唱え、3.そのマントラに両手の指の動きを交えて、4.頭頂から眉間へと動くL字をイメージする。このようにやることが多いので、雑念が湧きにくいというメリットは確実にあります。

ただ、なぜそのような動作が必要なのか、そのような動作を通じて、どんな仕組みで、どんな変容を促そうとしているのか。すなわち、この瞑想の意図やゴールについては、まったく分からない。分からないなりに何回もやってみるのだが、やっぱり一向に分からない。教えてもらっている先生曰く、この瞑想によって頭と身体の位置関係を抜本的に変えていくということらしい。まあ、よくわからない。

ただ、ひとつ救いなのは、このクンダリーニヨガという体系は今のところ全く理解できないけれども、これを続けていくと「何かしら大事なことが分かる気がする」という予感というか期待感はある。これがあるうちは続けていこうと思います。

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